老いのひとこと

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リンクマジックを交えながらの先日の法話の総まとめはいつもの真宗宗歌でもって終わるのかなと思いきや今日はさらに続けて童謡「めだかの学校」と兎追いしかの山の「ふるさと」の二題を歌わされてしまった。


折角なのだが未だ此のわたし「正信偈」とか「・・和讃」とか「恩徳讃」や「真宗宗歌」を声高らかに唱和するには大きな抵抗があり口を開く真似をするだけの誤魔化しだけなのだがこと童謡なら歌わざるを得ない。


うすうす狙いはそんな所にあろうかと思いつつ講話御開きのあと坊さまに思い切って質問してみた。


親鸞阿弥陀さまの教えと今歌った童謡とはどのような関連性があるのでしょうか尋ねてみたのです。


するとお坊様は手を叩いて「あんた好いこと云った」と開き直り其の訳を今此処で私が説教しても全く意味がないのだというのです。


その理由付けはあんた方個々人がそれぞれ考えて然るべきことなのですと豪く感心しながら話されました。


ごくごく自然な成り行きのまま「なんまいだぶつ」と念仏できることの大切さを言わんとするのか。


恰も童謡を口遊むように何の意識もなくそのままの気持ちをありのままの気持ちを「なんまいだぶつ」に表すことの大切さを言わんと為されたのでしょうか。


わたしにはからっきし解からなかった。