老いのひとこと

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青桐(せいどう)という俳人が実在したものか、また幾暁庵 ( きぎょうあん )とはいったい何者か些か興味を惹く。


早速、玉川の近世史料館へ赴き調べてみた。


幾暁庵については容易く入手できた。


伊勢山田の人で幾暁庵雲蝶( うんちょう)を名乗ったという。


芭蕉の門人各務支考( かがみしこう)や中川乙由 ( おつゆう )らに師事し九州や加越能各地を遍歴し千代尼とも親交があったのだという。


乙由( おつゆう)の十三回忌を金沢の龍国寺で営んだ後宝暦6年(1756年)に63歳で此処金沢の地で没した、法船寺に墓があるのだという。


玉川には幾暁庵の編纂した泉野菅原神社奉燈句集や松月寺不動尊奉燈句集など七冊を数え此処金沢の地にて手広く弟子たちを指南したようすがありありと窺え得た。


そのページを隈なくめくって青桐の名を捜す内に遂に巡り合ったではないか。


青桐が詠んだ句に出会ったのです。


青桐は幾暁庵最晩年の頃に抱えたお弟子さんであることがよくわかった。


ちょっとした感動感激でした。


幾暁庵と青桐の紛れもない子弟の関係がくっきりと明るみに出たのです。


青桐は幾暁庵を師と仰ぎ俳句の道に勤しんだ此処金沢の住人であり、青桐( あおきり)のような一人の若き文人でした。