老いのひとこと

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夜空に散りばめられた星々の中に星座なるものがあることはそれとなく知ってはいたがその実態たるや全く知らないも同然。


と云うことは紀元前3000年は今から5000年むかしの古代エジプト文明の人たちよりわたしは明らかに無知であるということになる。。


勉強不足も甚だしい、ピラミットを作るにも


天文学や高等数学の知識を要したであろうからわたしはそりゃ全然お話にもなりません。


とても恥ずかしい、更にはギリシャ神話の世界にも疎いのでお星さんや星座の名前もチンプンカンプンでした。


最寄りの小学校で星の観察会があったので幼児になりすまし参加してきた。


モンゴルの遊牧民の住居のようなゴム風船式プラネタリュームに入って子供たちと一緒に勉強してきた。


うるさいくらい元気がいい大きな声で星や星座の名前を答えている。


でも此のわたしは星座の話を聞けば聞くほど単なる無味乾燥なこじ付けのようにしか感じ取れない。


こんな捻くれ者はわたしだけ、欠落するのは天文知識だけではなく宇宙ロマンへの感性や情感も持ち合わせていないことを知らされた。


殺伐とした原野に身を置く鼻つまみに過ぎなかろう。


そんなわたしはドームからつまみ出されても仕方がない。


屋外では天体望遠鏡が準備され土曜の夜に土星を観測するのだと子供たちはみんな覗いている。


許しを得てわたしも見させて頂いた。


肉眼では捉えられない土星の金環までくっきり見えたではないか。


さすがに幾らぼんくらでもこれには感動しないわけには行くまい。


十数億KM離れた物体が金色色に輝いて見えるではないか。


わたしが見た光り輝く土星の雄姿は凡そ一時間20分前の姿なのだという。


わたしが望遠鏡を覗く姿は一時間20分後には土星人に届くのかと思えば実に痛快だ。


暫しの一瞬だけだがわたしは時間と空間を超越した無の世界を体感し得た。


今日は夜空を見に来てよかった。


子供たちに感謝しよう。