下手糞老いぼれ剣士のルーツ《15》

齢七十を過ぎたいい年をしながら宗教心とか信仰心は皆無に近い。恥ずかしいというのか哀れむべきというのか、なんと葬式のことしか頭には無いではないか。
確かに、ご先祖様に見習うべきとは思う反面、己をどのように処して行けばいいものか思いが前へは進まない。これまた、情けないし憐れといわざるを得ない。
きっと、神仏分離のお触れや廃仏毀釈の時代のうねりや激変にヒイジジも戸惑いつつも多額の金品を惜しげもなく布施しているわけだが・・・
やっぱり、ご立派なりと言わざるを得ない。



本来なら釋精路の法名で、喪主が長男高橋勝太郎で執り行ったであろう。われらの祖父の葬式のことである。
 信仰心の篤い精路政之丞は法華宗のみならず浄土真宗にも信仰心が厚かった。
それを説き明かすような証拠の品として東本願寺金沢末寺の朱印と本願寺金沢末寺の朱印の押された永代供養か永代読経のために白銀十枚とか壱円五拾銭とかを寄付した証文が六通残されている。今様に貨幣価値を換算できぬが只ならぬ金額になりはしまいか。
白銀一枚を一分銀だとすれば想像を絶する莫大な金額になる。百万円近い金額になりはしまいか。
切米二十俵の分際で考えられない気前の良さに、本物の信仰心にただただ感服させられるのみである。
 政之丞が女房の父親高橋増三郎と連名で届けているのもある。本来高橋家は本願寺別院派にもかかわらず東本願寺別院にも金品を寄付しているのには驚いたりあきれたりするばかりなのだ。
 更に加えて信心の深さを物語るものとして石浦神社の氏子を明かす木札が四枚、ここにある。金之丞の子精路本人の分、妻楚登の分と長男勝太郎のと長女ちゑの家族四人が明治六年の六月に参詣し神官より授けられたものだ。凄いの一言。見習うべきなり。