老いぼれの弓事始め《12》

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弓事始め
 
⑩ 初心者講習会で単なる射幸心のみを煽るがごとき部内大会には否定的に捉えざるを得ないことは先にも述べた。
 的を射て勝利の快感と高揚感を味合わせることは初心者に対しての興味と関心を持続させる意味合いで必要なことかもしれない。
 
 かつて狩猟生活に明け暮れした縄文時代には射の技術は海の幸や山の幸の多少を左右したことだろう。
 生活の糧が関わっていたのだから、今日の射により幸運に在りつきたい、他人より自分が幸せでありたいと ( こいねがう )う心情に繋がることは分からぬでもない。
 このような時代的背景から「射倖心」という言葉が成り立ったのだろう。
 でも、他人よりも己の方が幸運をつかみ取りたいという浅はかな利己心で弓を射っていても始まらない。
 弓を射る意味がない。
 射倖心に囚われない、的中 ( てきちゅう ) ( しん )を超越した真の弓道精神の何たるかを是非会得したい。
 先日の酒席で山田老師はいみじくもおっしゃった。
 心正しくして一心不乱に稽古に励めば、的の方からあなたにちゃんと近付いて来てくれますよとのご指摘だった。
 労苦の伴わない僥倖なんて、糞喰らえだ。
 
ここしばらく老犬介護の為巻き藁こいしき次第なり 。