老いぼれの独り言

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    拝殿に 弓起こし如き 初詣で
 
《元旦には倶利伽羅不動尊を息子の車に便乗し参詣した。
 今年は昨年ほど霊験あらたかな気には成り得なかった。
 ついうっかり、修験者の僧がお札やカレンダー、ダルマの置物のコマーシャルを打っているのを耳にしてしまい一瞬にして興ざめ幻滅感を覚えてしまった次第。
 二日には禅が峰神社にて氏神詣をこなした。
共々、孫たちの学業成就をお願いした。
 
去年から弓を試してみることにした。
一見容易そうな弓なのだが、どうしてどうして中々手ごわいのである。
ただ単に矢を射るにはあらずして精神面が余程充実していないと四方八方より見破られてしまうのである。
誤魔化しが効かないのである。神々しく恭しく大きく伸びやかに飽くまでも基本に忠実に事を為すにはやはり並々ならぬ修錬が要るのである。
その領域に達することのないわたしは今以って巻き藁に向かい営々と試し射ちする分際に過ぎぬのである。》
 
    湖畔にて 孫子集いて 春囲む
 
《デフレ不況下でいずこの温泉宿も信じ難い格安料金でわれ等庶民たちを歓待してくれるのである。
家内も手作りおせちに梃子摺り悲鳴を上げざるを得なくなった。
依って、去年から此の慣わしが定着したようだ。
一堂に会し、手っ取り早く正月の祝賀が執り終えることのできるメリットは大きい。
二才から高2までの孫たちが賑やかに五人囃子を奏でてくれる。》