老いぼれの独り言

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            この絵、音五郎こと内蔵助正行とは無関係
 
 
またしても自慢たらしく映るかもしれません。
人間がまだまだ未熟なのでご勘弁願いたい。
わたしの母方の遠い遠いご先祖のお話です。
わたしの母としの実父を津田全二という。
この全二の実父を津田近吾という。
この近吾の実父を津田清三郎 (きん) (ゆう)と呼ぶ。
この清三郎近猷の実弟に津田音五郎と云う者がいた。
此の津田音五郎は津田玄蕃 (げんば)家第十代当主津田修理 (しゅり)正直の養子になり修理正直の娘と結婚した。
養父修理正直の後を継ぎ音五郎は津田玄蕃家第十一代当主に就任するに至る。
津田音五郎は破格の大出世を遂げたことになる。
音五郎は名を改め津田内蔵助 (くらのすけ)正行と呼ぶようになった。
八家 (はっか)に次ぐ有力な人持組の津田玄蕃家は前田の殿様家の家老か若年寄の地位を得た。
紛れもなく音五郎こと内蔵助正行は前田藩家老職に名を連ね最初の役職が『定番火消役』であった。
加賀鳶とは関わりはないにしても加賀藩の火消役のトップの地位についたのです。
わたしの遠き遠きご先祖が斯くなる人物であった以上、わたしはわたしと拍子木との不可思議な因縁に只只驚いた。
拍子木をほったらかしに致し、黙って座視するわけにはいかなくなった。
わたしは背を丸め小さくなって頭子を下げ、責めて拍子木を打ち鳴らす夜回り役の分際で在りたいのです。
益してや失火ボヤ騒ぎの張本人なら猶の事夜ごと黙して励行致さねばならないのです。