老いぼれ教師の回想記《121》

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その六  石垣の 陰に潜みし 将中や
 
青天の霹靂=その2
 
 遠いむかしのことである。
 その息子たちも既にあの当時のわたしの年齢に達しようとしている。
 すべて時の流れが解きほぐしてくれたことになる。
 なんとか親子ともども平穏な道をそぞろ歩けることを喜ばねばならない。
 しかし、あの時の修羅場の光景は今も決して忘れはしない。
 
無慚にも、あの時のわたしには最早我慢し耐え忍ぶ雅量も度量も持ち合わせることができなかった。
私は実にか弱きちっぽけな取るに足らない間抜けな奴阿呆であることにその時も気が付いた。
私は実に情けない最低の人間であることにこの時も気付き奈落の底へ引き擦り込まれて行くわが身を実感した。   
至らぬおのれをおのれ自身が怨み呪い徹すだけで事態の収拾を計ればよいのだという冷静な配慮も、それだけの器量をも私は持ち合わすことが出来なかった。
 天を怨み神を呪い、一段と人間嫌いに拍車が掛かった。
人間不信へと落ち込んでいった。
私を取り巻く誰もが私に敵対し有形無形の迫害の牙を剥き譴責しようと詰め寄った。
少なくとも斯様な一種の強迫観念に苛まれた。
 私はわが息子を打っていた。
殴っていた。
足蹴りを喰らわせた。
思い切りよく竹刀を振り下ろしていた。
妻が止めてと半狂乱の眼差しで制止に入ったがその手はなお一層加勢した。
 私は父親の威信にかけて本気で怒った。
本気で怒る姿を見せたかった。
親が何ゆえ怒り狂っているか、血を分けたわが子なら判ってくれる筈だと確信しつつ折檻の手を緩めることはなかった。