老いのひとこと

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 先日のこと、千葉県の加藤さんより三島由紀夫の「剣」のお話をお伺い致したのです。
 ところが、その「剣」についてはまったくの初耳であり斯くなる物が此の世に在る事すら知らず、まったく以って恥ずかしい思い一入なのです。
 それで、さっそく予備知識を注入した上に古本を捜しだしおそるおそる読んでみたのです。
 なるほど、三島さんご自身は五段の腕前だけあってあの著名な政治家剣士橋本竜太郎さんを相手に堂々と五分に渡り合ったのだという。
橋本総理の方が梃子摺ったと論評する人がいるくらい相当の実力者だったのかも知れません。
だから、その描写は実に凄い、当を得ている。
実際に面がねが激突し眼球と牙を剥き合う激闘の場面を実体験した者にしか表現できぬ迫真力に満ち溢れているのです。
荒々しい呼吸と心拍の鼓動までこちらに伝わり丸でわが身自身が戦いの当事者となって渾身の力を振り絞っているような錯覚にすら陥ってしまった。
主将の国分次郎が新入生の壬生に稽古を付ける場面がある。
『それはぽっかりと空中にあいた、時間の停止してしまった白い窓だ。
その白い窓が壬生の頭上にありありと見える。
気張った右手の籠手にありありと見える。
そこへ次郎の剣はらくらくと入ってゆくことができる』とある。
三島さんは剣の遣い手である以上に確たる文豪として或いは類い稀なる芸術家として研ぎ澄まされた天才的な観察力と洞察力の持ち主で居られたのでしょう。
おそらく、三島さんは高段者の仕合から絶妙なる技の仕種をまるで高速度カメラでとらえたように的確に分析しそれを盗み取られたのでありましょう。
ものの資料によれば、三島さんの得意技は真向正面からの相討ちの面と抜き胴であったらしい。
こせこせした籠手技には無頓着で余り稽古しなかったという。
というのも、御身の独特の構えは両肘が張り御籠手が見え見えであったらしい。
多分、師範からは手首の返しと手の内を喧しく注意されたのでしょうか、作品の主人公国分次郎がチームの木内監督さんを呼ぶ時によく木内さんを“手の内”さんと呼んでいたと書いてあったのです。
“手の内”が甘い甘いと余程、こっ酷く三島さんと云えども叱責されたのかと思えば実に微笑ましく感じるのです。
こんなにも素晴らしい作品に遭遇できて加藤さんに感謝しなくてはなりません。
主人公が意外な結末を迎えるさわりの部分は此処では省くことにする。