弓事始め《36》

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鶴来の弓道場にて六人立ちの弓場を独り占めし存分に射ち興じた。
とは云えども的前には未だ至らず粛々と姿見の前に立ち巻藁へ射ち込んでのことなのです。
最早三年越し遅々として前進の跡みられず未だに踏み止まるおのれが歯痒いのです。
それにしてもオイゲン・ヘリゲル先生ですら巻藁の前で5年間の修行を果たしたのだという。
ならばわたしにはまだ二年間の猶予があるではないか。
せめて八十路までには段位を取らねばなるまい。
留意いたすは、先ず打ち起こしは右肩主体にして掬い上げる感覚して行う。
次いで、大三に至るには右の肘の位置を動かさないように弓手の手の内をスライドさせ小指の締めと親指の押さえを確認す。
さらに、引き分けには弓手主導で押し出しながら馬手真後ろに引きながら右肘で引き下ろし会に至る。
巻藁のど真ん中を見定めるが決して凝視してはいけない。
真中付近に漠然と目線を注ぐ、むしろ半眼状態で的はぼやける。
顔向け確と臍下丹田を充実させ息止めて目を開け視線を注ぎ半月のねらいにあれば離に至る。
其処に弓聖阿波研造の暗闇での的射の神話が現実味を帯びてくるのではないでしょうか。
笑止千万なことをずけずけと物申したが爪の垢を飲んであやかりたい一心からの戯言なのです。
「漠然と観る」ことは「遠山の目付き」に他ならず武蔵流の「観の目」に違いない。
武道に相通じる「心の目」「臍下丹田の目」「観の目」そして更に弓の世界には  「伸び合い」「詰め合い」が加味され益々奥が深いのであります。