老いのひとこと

イメージ 1
 
 
かの有名な一政画伯の陶板にあるワンフレーズ「我は木偶(でく)なり使われて踊るなり」を模造とか偽造とかを仕出かす資格は此のわたくしには何処にもない。
 そのようなことを為せば余りにもおこがましくて笑止千万なことになりはしまいか。
 恥ずかしくも此の壁掛けは単なる盗作による一駄作に他ならないのです。
老い果てたしかも呆れ果てた一介の木偶の坊がひとり此処にいるのです。
 
昭和初期の混濁の世の世相を弱冠二十四歳の海軍将校三上卓は(べき)()の淵に波騒ぎと語り謳った。
絶妙の傀儡師(かいらいし)・でくしに操られるが如き国情に若き将校は義憤に燃えて血潮を湧かし遂に決起した。
民よ永劫の眠りより醒めなさいと白々と明け染める日本国の朝ぼらけを告げ給うたのです。
そして、天の怒りと地の声が混ざり合った只ならぬ地響きを確と聞き取りなさいと訴えたのです。
斯くして、昭和維新の歌は世に出歌い継がれて日本国は突進し邁進しそして大きく挫折して逝ってしまったのです。
 
あながちひょっとして平成の此の世も或いは巧妙なる傀儡師によって操られているのかも知れません。
四民みな等しく人形遣いに踊らされる事に異を唱えることなく是認するのであればみなにこやかに手と足を振り上げて踊ればそれでいいのです。
どうもそうではなかったのか確かに「平成維新の声」が声高に叫ばれました。
ところが何故かしら其処には一途なる純粋さが乏しく今や分解し瓦解してしてしまったではありませんか。
況してや此処に至って「平成維新の声」は巨大与党と結託することをも憚らないと宣言してしまったではないか。
果たして如何に致せばよろしいものか、老い先長くはない此の正真正銘の木偶の坊は何時も「昭和維新の歌」のピュアなエキスの部分だけを固く信奉し息を凝らして喘ぎながら生きているのです。