自主・自立とか独立・独歩とか人としての行動規範をよく耳にする。
人に頼ることなく独り立ちするはとても大切な事でしょう。
しかし、これは考える程容易くはない、なかなか大変な事である。
粘土を錬って細工して茶碗を作って窯にて焼けばいとも簡単に出来上がる。
それをいろいろ難しく考えてああでもないこうでもないとやり始めると難しくなってしまう。
他人様よりも良いもの好いものを作ろうと欲を出すことが良くないのかも知れない。
独創的な美を求めて粘土細工に精を出すことは決して悪いことではないとても価値ある事だと思う。
人様のお力を借りることなく独力で以ってブリキ製や木製の茶筒なるものを陶器の焼物で作ってみようと試してみたのです。
問題は器の部分と蓋の部分がぴったり密着し内部が密封されねばならない。
つまりはその摺り合わせ作業に神経を集中させました。
勘と度胸を織り交ぜながらの恐る恐るビビりながらの手作業でしかありません。
それでも何とか素焼きを終え意気揚々と施釉の作業所に入り仕事の段取りを最終調整をいたす折に講師の先生が心配そうに覘き込んで「高橋さん、あなたは此の蓋の部分を如何様にして窯に入れて焼くのですか」と無造作に問い質されたのです。
何と頓馬で呆れ果てたド阿呆でしょうか。
凍て付く作業場でわたしの頬が真っ赤に染まっていくのを知ったのでした。
独り立ちし独力で事を為すと豪語したその自負心は何処へやらむざむざと圧し折られ打ちひしがれていったのでした。
未熟な嘴の黄色い分際でありながら高慢ちきな自尊心だけを誇示し偉ぶった我が身の愚かさを厭と云うほど知らされたのでした。
先生も共に一緒になって最良の方策を考えてくださいました。
此の時ほど有り難く感謝の気持ちが高ぶったことはありません。
大いに助かりました。
その助かった姿が此の「キノコ雲」の誕生でありました。
あたかも、わたしの顔面の火照りが上昇気流となって出来上がったようなものです。
何事によらず「先先の先」の技は生きている。
とてもいい勉強になりました。