老いのひとこと

イメージ 1



義母の妹さんに当たるお方がかほく市の高松町に居られ嘗てはご主人とご一緒にブドウ園を営まれた。


でも、今や完全にリタイヤなされ御二人とも仲良く特養老人ホームに身を寄せていられる。


ともに91歳の御高齢で特にご主人は視力は全く奪われ聴力も補聴器が役立たずに重度の身障者でいられるのです。


そこへ以って最近は認知症の症状が顕著になられてまさに三重苦に苛まれていらっしゃるという。


大阪から義妹も飛んできて家内共々御二人を見舞ったのです。


当初は何処となく澱んだ雰囲気の中に佇むイメージしかなかったのだがどうしてどうして至って明るく開放的ではないか広々とした個室が宛がわれ浴室も中々の充実ぶりに驚きました。


介護ヘルパーさんの数も笑顔の振り撒きかたもとても洗練されていて気持ちが良かった。


会話が成立する叔母さんと家内たちは楽しそうに歓談していたのだがその間、叔父さんは幼子のように


何かしら大きな声を発していられたのです。


時折り、此の叔父さんは叔母さんに「あんた何時 ( いつ )帰るのか」という。


二人共に入所しているのに叔母さんに家に帰らないでほしい、もう一晩此処に泊まっていってほしい。


帰るのは明日の朝の8時か9時ころしてほしいとせがむようにおねだりするのです。


幼子が母親に甘えているようにも聞こえる。


恐らく、此の叔父さんは躰全身に不自由を囲い寂寥感に苛まれ打ちひしがれていられるのでありましょう。


赤子のように素直に自分の思ひを口に出されたのです。


高齢化社会の裏窓から事の真相を垣間見たのです。


小便を2回訴えました、大便も訴えました。


訴えられるだけでもこれは軽症の類いなのでしょう。


小便大便と標準語ではないか、わたしだってこんな奇麗で上品な言葉を知らないのです。


その内に、叔父さんは「あんたらもう用がないがかいね、、あんたら用がないのなら早う帰っまっしと」あからさまに何のおくびもなく堂々と大きなお声で口走ったのです。


決して笑い事ではありません、「今日は人の上明日はわが身の上」と云うではありませんか。


これは絶対に他人事では済まされません。