老いぼれの夕雲考《127》

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夕雲流剣術書     小出切一雲 誌(53)


 


一雲は傲慢なる思上がりの自惚れに対しては辛辣なる毒舌を吐いて皮肉り蔑むのです。


また、一雲は大した勉強家であったらしく積非なる中国の言葉を用いているのです。


 


【然らば耳だこのあたり目巧のつみたる意識の智解をたかぶり、自己を向上に思ひ誤り、人を目八分に見落し、舌和かに口がしこく聖賢祖のうわさ咄の利發に聞えたるのみ也、若しかやうの人、當流を望まるるとも、達て辭して流へ入れぬが肝要なれども、是非共に辭すべき道なくして弟子分に入るならば、舊學の意に染み着たるをそろそろ削り捨て、幾年月を經てなりとも、自己の積非を好く明め悔み、


 


口語訳


 


鼻持ちならぬ傲慢なる人たち


 


そうだから、皆が同じ言葉を何度も聞き、同じ事を何回も見ることによって得たような安っぽい知識の力を借りてしか悟りを開くことが出来なくなってしまっている。


そこへ以って、此のことを殊更に自慢し、己を最高の者のように思い誤り、更には傲慢な態度で人を見下し弁舌柔和にして口上も巧妙なる聖人や賢人あるひはお釈迦様が口にした噂話のような四方山話を恰も立派な役に立つ話なんだと言って吹聴する有様なのであります。


私たちは、それをただ耳にしているだけの話しではないでしょうか。


若しや、このような人が当流へ入門を望まれようとも、敢えて辞退してもらい当流に入れないことが肝心なのです。


だが、どうしても辞退する手立てがなく弟子入りしてしまったのならば、以前に習った流派の染み着いた教えを徐々に削り捨てて、幾年月を経ていたにしても己の推測とか見積もりの誤りを明らかして悔やみ反省してもらわねばならないことになるのです。