老いの回想記≪128≫

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その七 いばらとて 花芽つきしや 高尾台


 


道場訓


 


 将中の木村校長は少なからず私の傷心の意中を察して異動希望を受理してくれた訳なのだからその意を汲んでわたしなりに意気込んでこの高尾台の剣道場の床に立つ必然性を素直に感じ取らねばならなかったのです。


 わたしは早速、道場の壁面に毛筆で大書した。


道場訓を掲げた。


非切を以って剣道の極意と心しろ。


あらざる心、非心を切ること、これ即ち剣の道なのであるという意味合いだ。


 この様な仰仰しいことを掲げること自体、見る人にとっては空々しくも映ったであろうし、私に向けて哀れみの目で蔑視したことでもありましょう。


 しかし、愚鈍なる私にしてみれば単なる一時には過ぎないが、一介の道場主の心境に相成った。


いや、むしろこのときの到来を心ひそかに待ち望んでいたのかも知れない。


少なくとも剣の道を志し十年近くの間修行の道を歩んだ者なれば当然の帰着点であったであろう。


 


いばらの枝に花芽がついた所以だ。


 


 ここに着任する前年の昭和六十年の秋に不肖四段に昇段していた。


しがない私の剣道暦ではあるが、この頃が年齢的にも最も充実期であったかもしれない。


 男子チームは県体へ 金沢市 を代表する一校として雄雄しく出場し雄雄しく戦い、そして雄雄しく敗退し散り果てた。


 盛夏の頃、 鹿西町 の武道館に先鋒・野村、次鋒・加藤、中堅・金田、副将・橋本、そして大将・白井で臨み、そこに万が一に備えて蛸島が満を持して待機するという布陣であった。


 白井キャップを核にしてみな熱心に励まし合い競い合い、そしてお互いに高め合った。


何れ劣らぬ、学業優秀な生徒たちでみな文武の二道に秀でた実に素直な子たちであった。


剣のわざ師であり、出色の出来栄えを披露したのは小柄な野村の小手技だった。


此処から戦況に活路が開かれていくのが高尾台の必勝パターンであった。


 軽快な体捌きと前へ攻め込む冴えある打突にはみな惚れ惚れとして見取った。


わたしとて見て盗み取ろうと試みたが所詮わたしの打ちには手の内の冴えがなかった。


みなから痛いと責められた。


そんなこともあんなこともあったのだなあと苦々しく思い返すのである。


 女子チームが加賀地区新人戦への出場権の切符を手にしたときも正直言って小躍りするくらいにうれしかったことを思い返す。


松任市の武道館に北野、丹羽、中村、小林、若宮、松山・・・らの剣士たちが参集し大いに気勢を上げたのだった。