老いぼれ教師の回想記《122》

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青天の霹靂=その3
 
 親の怠慢と愛情不足を棚にして子の非ざる行ないのみを親の一方的権限で以って攻め立て攻め抜く。
 そこには、愛の鞭に名を借りた体罰がのさばり虐待と紙一重と思しき行為が平然と展開されたと云ってもよい。
 愛情の発露がつい度が過ぎ暴力的制裁に結び付いてしまったのだ。
 あの30年前の出来事の経緯を今冷静に分析し直してみれば只々恥ずかしい。
 一方的に譴責を負うはこのわたくし自身に他ならない。
 親として、覚醒にいたる時期が余りにも遅きに失してしまった事をまごころ悔やむばかりだ。
 
 
その間幾ばくの時の経過があったのか、私の耳に“ごめんなさい”
“もうしません”
“ゆるしてください”
ずーと昔の幼き頃の息子の声が聞こえた。
漸くにして私はわれに返った。
しかし、言うに言われぬ悲しみと苦しみと寂しさの気持ちが重なり合った慚愧の念に落ち込まれていった。
その直後、私は辞職願いをしたため胸ポケットに潜めた。
特殊学級に通う子と知ってのことではないと念を押して息子は証言する。
しかし、大通りに面したウイング大額店の前で乱闘騒ぎをしでかし警察から額中へ連絡が行き直ちに私の勤務校にも通報が入った。
他校生には違いがないが事もあろうに私の勤務校の生徒であった。
村道夫校長は視線を伏せたまま悲痛な面持ちで告げていた。
実は不祥事は他にもあった。
バイク窃盗と乗り回し、喫煙、下級生へのかつあげ等々で再三再四、額中校長室へ呼び出された。
平身低頭して親としての落ち度を謝った。
謝る以外の術はなかった。
土下座した。