老いのひとこと

イメージ 1
 
 
これは松任中川一政美術館で拝見したものです。
武蔵の「五輪書」水の巻の兵法における目付の部分を中川一政独自の「観の目」で意訳したものなのでしょう。
決して、原文を写し取ったものではなさそうです。
“目の収めようは常の目より細やかにして( うら)やか
に見るなりとある“とある。
 また、“目の玉動かさず、近くのものでも遠くに見る目でよく見れば敵の技だけでなく両脇まで見えるものだ”
 “見の目弱く、観=觀の目強く見るべし”宮本二天とある。
 「觀の目」を強くして中川一政は薔薇の花を主題とした幾枚もの油絵を飽きることなく描き続けたのでしょうか。
 宗教家鎌田茂雄さんに依れば「觀の目」は「心の目」であり「腹の目」でもあるという。
 つまり、「臍下丹田で観る目」とでもいうのでしょうか。
 そう云えば、館内の随所に掲げられる中川一政の随想の一節の中にも臍下丹田なる語が幾重にも出てくる。
 絵を描くときも書に取り組むときも陶芸の世界に浸るときも臍下丹田に力を籠め一心不乱に取り組めば制作に長い時間を費やさろうが一向に疲れを知らないのだと盛んに述べてあった。
 中川一政宮本武蔵と云う武芸者の中に相通じる脈絡を見出されたのか、それとも一政の方から武蔵の心意気に相投合し接近して行ったのかはわたし如き木偶の坊にはまったくわからないのです。
それでも、臍下丹田に気力を充実させ「観の目」を強く致すべく修行に励まねばならない。
 その為には何をどう致さねばならぬかもよく分からないが取り敢えずはハンドルを握った折には臍下丹田に気を込め「観の目」よろしく「遠山の目付き」にて「飛び出し注意」を念頭に慎重運転を心掛けるしかない。
 前方を( うら)やかに細やかに「觀の目」を忘れることなく安全運転に努めねばなるまい。