齢を取ると同じことを何度も何度も繰り返して言うても一向に気にしなくなる。
又しても、自慢にもならんことを呪文のように唱えねばならぬ。
つまりは、我が家は幕末の頃までは前田家に仕える足軽の分際でありました。
それも、高が年に米20俵の微禄者に過ぎなかった。
ところが、それでも由緒書が残されているし友重の脇差一振りと家紋までもが代々伝わるのです。
だから、これからも代々伝えてゆかねばならないと自負いたす処なのです。
陶芸の真似事をしているのでついつい我が家の家紋に挑んでみることにした。
二枚のタタラ板を重ね上の部分を繰り抜いただけである。
反りは最小限度に止まったので助かった。
背景には黒天目を薄く吹きかけた以外なにも施してはいない。
紋の部分には金化粧をしてみた。
バックが渋くくすんだ色合いなので金色いろが眩しいくらいに光り輝く。
いくら出来が悪くても精一杯のおめかしぐらい許されてもいいじゃありませんか。
改良点を念査し二作目、三作目を試みたいがどうした事かどうしても創作意欲が湧いては来ない。
一枚づつ宛がいたい相手がわたしには参名いるのであと二枚要るのです。