2015-01-01から1年間の記事一覧

老いのひとこと

剣道形の小太刀三本目に拘るのです。 仕太刀は打太刀の切り下ろす太刀を摺り上げ摺り落とし摺り流しながら左足を前に送り摺り込むと同時に右足も伴って打太刀の右腕肱上を裏側より捻り上げて自由を制する。 打太刀左斜めに退くので仕太刀は左右左と三歩攻め…

老いのひとこと

鶴来道場での日曜会稽古は此のわたしには次週へのスタート地点であると同時にその週のゴール地点でもある。 わたくしそのものが日曜会稽古に始まり日曜会稽古に終わると云っても過言ではない。 でも年寄りには早い打ちはもう敵わない、もっぱら大きく正しく…

老いのひとこと

日一日と劣化が進む。 足腰のみならずおつむの方がもっと心配だ。 一日中檻の中を行ったり来たりしてさ迷いつづけたり、一方無いおつむの活性化の為幼児に返えり百マス計算や粘土細工に明け暮れするのです。 仕返しとかリベンジを計るという大袈裟な事ではな…

老いのひとこと

6時に目が醒め空を見上げれば昨夜来の雷雨も上がって何とか小康状態を保っているようだ。 間隙を縫って決行することに決めた。 冬装束に身を包み敵前上陸を目指しいざ出陣といさぎよく飛び出したところまではよかった。 外に出た途端、突風吹き荒び霧のよう…

老いのひとこと

此の世で最早此のわたしの意のままに御することが適うのは「粘土」だけだといみじくも呟いたはずだ。 ところが、此の「陶土」くんにも見放され裏切られたも同然の仕打ちを受けてしまったのだ。 大きなショックでした、少々大袈裟すぎるが目の前が真っ白にな…

老いのひとこと

テラコッタに赤粘土と自家製の額四粘土をブレンドした秘策の陶土で手捻りを試した。 その内の一つが此の小振りの湯飲み茶碗になる。 どうした事か文字通り高台が物の見事な高い台に仕上がってしまった。 これこそが芸術的センスだと息巻くが誰の目にも納得は…

老いのひとこと

其の場に立ち会ったわけではない。 仮に立ち会ったにしろ観覧席の遠きよりその一瞬の仕種まで見通すことは此のわたくしには絶対に不可能な事でありましょう。 他人様より伝え聞いた話に過ぎぬが先日の五段の部の形審査で小さなあやまちが命取りになり失敗為…

老いのひとこと

並外れた馬鹿でかい水滴を作ったものだ。 一たび此処に貯えた硯水は恐らくわたくしが死ぬるまで用いたにしろ使い切れるものではない。 丁度区切れの好い此の齢に其の最初の一滴を今嘗て用いた事のなかった至宝の硯「龍池硯」に注ぎ松鶴製墨「三香」で以って…

老いのひとこと

二週間振りに陶芸工房に顔を出す。 窓際の棚には素焼き前の作品から素焼きのままのもの既に本焼きされたもの等が雑然と並ぶ。 作者の意中を汲みながらつらつら見て行くうちにお結びの様なみすぼらしい焼物がある。 見るまでもなかった、紛れもしない我が輩の…

老いのひとこと

無断掲載 掛かり付けの歯医者さんは此のわたしに8020賞という金沢市民栄誉賞の受賞のチャンスを当てがおうと虫歯の治療の為にとても良心的に取り組んでくださるのです。 処が、わたくしには格別痛くもないのに治療台に乗せられ例の小型グラインダーでギ…

老いのひとこと

後ろ宙返りの妙技を見せて頂いた砂場の横で今日は此れ又格別な珍技の持ち主に偶然にも出逢ったのです。 此の公園の桜並木の下を自転車にて通り抜ける数年来の慣習の中此のお方に遭遇したのは始めてあります。 箱型自動車のハッチバックを開けて一人の青年が…

うらなりの記《124》

第四章まとめ Ⅶ 1935年生まれのわたくしは今年2015年には傘寿の大台を迎えた。 腺病質なうらなりが此処まで生を永らえました。 両親は元よりわたしを取り巻く数多の人たちに支えられたお蔭です。 取り分け、掛け買いの無い妻子孫の家族あっての小さ…

老いのひとこと

65年むかしに卒業した野田中の旧友たちが山代の山下屋に相集い久し振りに歓談した。 富山より参集せし、往時硬軟織り交ぜし二刀流の名足る遣い手に纏わる武勇伝を肴に話は尽きず取り分け薩摩焼酎黒霧島が其の場に解け込んで一層雰囲気を盛り上げたようだ。…

老いのひとこと

その齢で何を言ってるのかと揶揄され皮肉られようが一向に構わない。 一進一退を繰り返す状況にいちいち一喜一憂したとて所詮ショムナイ事は判ってはいるが例のヘモクロビンアイワンシーの数値が7.1へと少しばかり漸進した。 何のことはない標準値6.2…

老いのひとこと

京都の紅葉狩りには少しばかり早いことは昨日の比叡の山肌からも察しが付く。 残念だが予定を早めて帰ることにしたのだが家内は「あべのべあ」を見てからにしょうという。 その時には聞いた事もない、初耳の「あべのベア」は安倍総理とどのような相関関係に…

老いのひとこと

今日は雨 日本列島を取り巻く地震帯には一刻の予断も許されない。 どうも地震一家もこの時刻にお目覚めとなられるようだ。 確か、秋口にも丁度この時刻を目指して一度あったはずだが本日も勢い込んでラジオ体操の会場へ馳せ参じて見れば九州地方で発生した大…

老いのひとこと

獺(かわうそ)のお祭り獺祭(だっさい)をネットで調べ勉強した。 三つの意味があった 一つ目は中国の前漢の時代に書かれた儒教の経典「礼記(らいき)」にはカワウソが自分が獲った魚を並べる事と書いてある。 それが、人間がお供え物をして先祖をお祭りするのに…

老いのひとこと

此れを機に比叡山へ登ってきた。 登ると云っても叡山電鉄の「電車」と叡山ケーブルの「ケーブルカー」と叡山ロープウエイの「ゴンドラ」、それに「シャトルバス」に乗り継いでのことである。 それにしてもいい齢抱えて体調不良の身、やはり豪かったしんどか…

老いのひとこと

秋雨が止んで久し振りの晴れ間に何時のようにペタルを漕いだ。 ふれあい公園の外周を走れば落ち葉散り敷く桜並木もしっとり落ちついている。 いつものあの青年が今日も一人黙然と砂場で戯れている。 幼児のための砂場で此の青年は回転と云おうか宙返りの練習…

老いのひとこと

菓子盛りの本体の部分は花器なり水盤なり丸鉢なりにと何なりと活かし方は多々ありましょう。 不思議なものです、何となく両の手の平に携えて黙念と立ち竦んでいると何故かしら吾が身自身が托鉢僧のように思えてきたではないか。 そうだ、此の器は禅僧のお坊…

老いのひとこと

特急しらさぎ号で大垣に行き大垣城と芭蕉記念館をみてきた。 お目当ては何と云えども此のお城になる。 我が高橋家のルーツを辿れば間違いなく此の地に至るのです。 関ヶ原の合戦の直前に此の大垣城に君臨したのが秀吉配下の伊藤祐盛・盛正父子であり此の大垣…

老いのひとこと

暫し英気を養って来ようと旅に出たのだが全然ダメだった。 治り掛けていた咽喉風邪を返って拗らせてしまいゴホンで始まり五本六本で終わった様なものだ。 咽喉がヒリヒリ焼けるように痛い、 唾をも嚥下できぬほどだから物を食べても全く味がしない。 痛さの…

老いのひとこと

此の齢で「忘れん坊」という事は即ち○○症になったことを自認したに等しい。 罹りつけの歯医者さんから8020賞を受賞したいのなら虫歯の治療に専念しなさいと叱咤激励を受け 予約を入れて貰うのだがその都度忘れてしまう。 歯が痛ければ飛んでゆくが痛くも…

老いのひとこと

菓子盛りの器として作ったのだが蓋と本体とが反りが合わず様にならない。 阿吽の呼吸で語呂合わせを為したがそう何事も上手くは行かないものらしい。 万止む無しと蓋を手にしてまじまじと眺むるに益々歪に曲がった捻くれ者嫌われ者に映るではないか。しかし…

老いのひとこと

無断掲載 全日本剣道選手権をみた。 西村選手が勝見選手に面技二本取って見事な初優勝を遂げられた。 テレビの解説者は綺麗な飛び込み面でしたと賛辞を贈られました。 差ほどでもないわたしの目にも確かにそのように映りました。 でも、何故かしら胸を打つ感…

老いのひとこと

此処はこじんまりと落ち着いた雰囲気の中に佇む農業系の大学校です。 此の際に、響緑祭と銘打つ学園祭へ顔を出してみた。 ご多聞に漏れず、吹奏楽や軽音楽の軽快で華やいだリズムがキャンパス内に溢れかえっている。 また、各種の催し物が出店し合い競い合い…

老いのひとこと

一輪の侘助が侘びしく咲く。 しかも、横に臥し地表に届かん不自由さを囲っている。 まさに、地面への落花に備えているかのようだ。 しかし、よくよく見れば確かに地球の引力に逆らってまでして生きている侘助ではあるが一向に理不尽さを感じさせない。 これ…

老いのひとこと

此の盃は 巨岩に伍して 凛として 額四峠で採取した自家製陶土の試し焼きは大成功に終わったようだ。 原形を留めたまま焼き上がって来たではないか、長子初誕生時を彷彿させるほどの喜びを一人秘かに味わったのです。 恐らくは、1300度の燃焼温度に耐え切…

老いのひとこと

中川一政美術館の壁に窪島誠一郎というお方が小松の公会堂でお話しを為される旨ポスターが貼ってあった。 どんなお話しかなと行ってみればやはり絵のお話しでした。 それにしても氏は絵かきさんではないという。 絵かきでないものが絵の話をするその切っ掛け…

老いのひとこと

体操会場へ自転車を走らす道路脇に転がるゴミ屑を拾い集める変な習性が身に付いてしまった。 つまりは、自分では環境美化のお手伝いの心積もりなのだ。 早朝ゆえ人通りもなく殊更我が身の善行を誇示する邪心は毛頭ない。 ひと様に出逢えばゴミがあっても知ら…